川口社会保険労務士法人トップKAWA-RA版 前ページ 1ページ 2ページ 3ページ 4ページ 次ページ

 働く意思・意欲

・引き続き勤務することを希望している場合
・勤務意欲に富み、引き続き勤務を希望するもの

 勤務態度

・過去○年間の出勤率が○%以上のもの
・懲戒処分該当者でないこと

 健康

・直近○年の定期健康診断結果を産業医が判断し、就業上支障がないこと
・直近の健康診断の結果、業務遂行に問題がないこと

 能力・経験

・過去○年の人事考課が平均以上のもの
・職能資格が○級以上のもの
・定年時課長以上の管理職であったもの

 技能伝承等その他

・勤続○年以上のもの
・自宅もしくは自己の用意する住居より
 通勤可能なもの



近代経済人からの教訓 「鈴木三郎助/味の素創業者」


鈴木三郎助という名をご存知でしょうか?恐らくピンとこない方が多いかと存じます。しかし彼がこの世に送り出した商品を知らない人はいないでしょう。日本の十大発明の一つで今は世界中で使用されている「味の素」を発売したのがほかでもない鈴木三郎助であります。うま味という影も形もないものを、いかにして世に問い、普及させたのか。三郎助の人物像や工夫に富んだ販売戦略からその謎に迫りたいと思います。
1867年12月、三郎助は相模国三浦郡(現在の神奈川県三浦郡葉山町)に鈴木三郎助氏酒類・雑穀商を営む「滝屋」の長男として生まれましたが、8歳の時に父親を亡くし、以後は母ナカに厳しく育てられました。学校を出た後、食品問屋で住み込み小僧として働き、そこで申し分のない評価を得ましたが、21歳の時、突如暴走を始めてしまいます。一攫千金を求めて米相場に手を出し、親譲りの財産をほとんど注ぎ込んでしまいました。


一家は生活費にすら困るほどになり、苦肉の策として、我が家を避暑客用に間貸しすることに。そこに偶然、製薬会社の技師が泊まり、何かいい商売がないか考えあぐねていた一家に、近くの海辺にある海藻を原料にヨードを作ることをアドバイスしました。苦心の末、ヨードの製品化に成功。事業も軌道に乗り、三郎助も憑き物が落ちたかのごとく旺盛な事業家に変貌し、更なる新規事業を模索し始めました。 そんな三郎助の耳に、東大の池田博士が昆布を原料とするグルタミン酸の開発に成功したというニュースが飛び込みます。グルタミン酸とは、昆布だしから出るうま味の主成分です。日本人は長い間、鰹節や昆布から出るだしを愛用してきましたが、その正体は何かということは解明されておりませんでした。それが今回の池田博士の研究により明らかになったわけです。三郎助は、ヨードの原料と同じ海藻を使うため、商売につながるのではと考え、博士に提携を申し出ました。同時期に日本最大の財閥・三井物産も提携を申し出ていましたが、三郎助は持ち前の交渉力を発揮し、見事に三井物産を抑え、特許の共有をも認めさせました。 文献には、「彼の相手を口説き落とす力というものは、まったく前古未曾有とも称すべきもので、鈴木の持つ他のいかなる長所にも増して彼の最大の武器であった。相手の性格を素早く見抜き、時に拝み倒し、怒ったり笑ったりし、ついには兜首をあげて帰ってくる。」と紹介されており、三郎助の巧みな語り口が伺えます。


川口社会保険労務士法人トップ
CLOSE 前ページ 1ページ 2ページ 3ページ 4ページ 次ページ